トレジャー代表者です!自己紹介をいたします(episode⑥初任支援員編)
当サイトをご覧の皆さん、こんにちは。
株式会社トレジャー社長の 甲斐 裕章 です。
まもなく、日本ではオリンピックが開催されるとのことで、報道なども曖昧な感じで、賛成、反対が入り混じり、おかしなムードを感じてしまうオリンピックですが、個人的には、わずかでも国益に繋がる結果が残せたらと考えてしまう私です。
自己紹介を続けています。久々のブログ投稿になってしまいましたが、episode⑥ で続けさせていただきます。
前のブログにもお話ししました私の人生初めての職場、「救護施設」。専門学校で教科書の中だけさら〜っと習った感じのこの施設。無知のまま、入職を決め、田舎者が東京で働くことになりました。田舎者が大都会で生活を始めるわけですので、目に入るもの全てに興味をそそられ、いろんなところへ出向いたり、関わったりしたく、そんな状況からの東京ライフのスタートだったわけです。しかし、社会人となり、次第に時間のほぼ全ては、仕事をすること、そのための知識、情報収集、指示に対してどう行動を取るべきかを考える時間に費やされ始めました。それが、次第に、興味の中心となり、私の福祉従事者の基盤形成となってゆくのでした。
「精神障害者」「精神疾患」「精神薬」
私の入職した施設は、精神障害者と言われる方々をほぼ100%で入所対象としている生活保護法下の救護施設でした。私は、当時、この疾患、寛解者と言われる障害への生活支援員としての職員でした。
この分野にのめり込みました。そして、精神科の医師にもなりたいと考え始めていました。1つ年下の弟が一浪後大学進学を成功させ、東京に住むようになり、私は弟にお願いし、国語、数学、英語を学ぶことを決め、1年学習を行いました。しかしながら、私の学習成績が医大合格のレベルまで到達する状況にはなれず、また、医大進学のための資金も親に頼ることもできない為、諦めようと考えていた頃に、「作業療法士」という存在を知ることになります。いわゆるリハビリテーションと言われる分野のこの資格、高齢化社会に向かう日本ですが、資格取得者が少ない状況でした。精神科で この作業療法士が活躍していることを知り、この資格取得を行うことを決めました。この資格、専門学校を卒業する必要があり、働かなければ生活ができない私が、学校に行くことができるのかと調べていたところ、自宅から1時間20分の場所に夜間での専門学校があることを知りました。これは奇跡的な出来事でした。その当時、夜間で作業療法士、理学療法士の学校は、この1校だけだったのです。定員の5倍の受験者の中、なんとか合格し、入校できました。ここから、4年間、仕事と学校の、まさに人生の基礎となる修行期間が始まります。
では、続きは、また次回に
(次回 episode⑦へ続く)
株式会社トレジャー社長の 甲斐 裕章 です。
まもなく、日本ではオリンピックが開催されるとのことで、報道なども曖昧な感じで、賛成、反対が入り混じり、おかしなムードを感じてしまうオリンピックですが、個人的には、わずかでも国益に繋がる結果が残せたらと考えてしまう私です。
自己紹介を続けています。久々のブログ投稿になってしまいましたが、episode⑥ で続けさせていただきます。
前のブログにもお話ししました私の人生初めての職場、「救護施設」。専門学校で教科書の中だけさら〜っと習った感じのこの施設。無知のまま、入職を決め、田舎者が東京で働くことになりました。田舎者が大都会で生活を始めるわけですので、目に入るもの全てに興味をそそられ、いろんなところへ出向いたり、関わったりしたく、そんな状況からの東京ライフのスタートだったわけです。しかし、社会人となり、次第に時間のほぼ全ては、仕事をすること、そのための知識、情報収集、指示に対してどう行動を取るべきかを考える時間に費やされ始めました。それが、次第に、興味の中心となり、私の福祉従事者の基盤形成となってゆくのでした。
「精神障害者」「精神疾患」「精神薬」
私の入職した施設は、精神障害者と言われる方々をほぼ100%で入所対象としている生活保護法下の救護施設でした。私は、当時、この疾患、寛解者と言われる障害への生活支援員としての職員でした。
この分野にのめり込みました。そして、精神科の医師にもなりたいと考え始めていました。1つ年下の弟が一浪後大学進学を成功させ、東京に住むようになり、私は弟にお願いし、国語、数学、英語を学ぶことを決め、1年学習を行いました。しかしながら、私の学習成績が医大合格のレベルまで到達する状況にはなれず、また、医大進学のための資金も親に頼ることもできない為、諦めようと考えていた頃に、「作業療法士」という存在を知ることになります。いわゆるリハビリテーションと言われる分野のこの資格、高齢化社会に向かう日本ですが、資格取得者が少ない状況でした。精神科で この作業療法士が活躍していることを知り、この資格取得を行うことを決めました。この資格、専門学校を卒業する必要があり、働かなければ生活ができない私が、学校に行くことができるのかと調べていたところ、自宅から1時間20分の場所に夜間での専門学校があることを知りました。これは奇跡的な出来事でした。その当時、夜間で作業療法士、理学療法士の学校は、この1校だけだったのです。定員の5倍の受験者の中、なんとか合格し、入校できました。ここから、4年間、仕事と学校の、まさに人生の基礎となる修行期間が始まります。
では、続きは、また次回に
(次回 episode⑦へ続く)