トレジャー代表者です!自己紹介をいたします(episode④ 恋愛編PART1)

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トレジャー代表者です!自己紹介をいたします(episode④ 恋愛編PART1)

当サイトをご覧の皆さん、こんにちは。

株式会社トレジャー社長の 甲斐 裕章 です。
前回のブログを作成した時と同様に、私は、ベトナムの首都ハノイに滞在し、ベトナム入国後すぐの隔離生活を送っております。隔離生活は、ベトナムが指定した隔離ホテル(いくつかを選択可)で14日間過ごし、その間にコロナウィルスの陽性反応が出ないかをチェックする期間です。今日は、隔離生活9日目となりました。残り、5日間孤独と向き合い頑張りたいと思います。

ブログは、私の自己紹介を兼ねた人生エピソードを書かせてもらっています。
今回は、episode④ 恋愛編をお届けします。

私が高校を卒業し、最初に学ぶこととなった専門学校は、社会福祉を学ぶ、2年制の学校でした。初めて出会った仲間が、心打ち解け、友だと思うようになる頃には間も無く卒業という、なんとも寂しい状況でした。2年生の初冬には、クラスメイトのほとんどが就職先が決まり、残りの時間、思い出づくりに時間を増やしている周囲の様子を感じ、私もその雰囲気にいて楽しさ、寂しさを感じるようになっていました。

ここで、ちょっと話は変わって、私は、自慢ではないですが、小学校の頃、特に高学年では、結構、女子にモテていたと思います 笑。バレンタインの時は、チョコの数は、多かったです 笑。 
中学校に入り、柔道部に入り、不良と呼ばれる先輩たちに気を使いながら、学校生活を送っていた頃は、全くモテない自分でした 笑。 
高校は、反抗期の頃とは変わっていく友人たちとの交流に、なぜかコンプレックスを感じていて、なんとなく馴染めなってしまい、勉強もせず、きつかった柔道部もやめ、学校を終わると自宅に帰り「夕やけニャンニャン」をテレビで観ていたのを覚えています 笑。

高校2年の秋、プロレスが好きな私は、格闘技色の強いプロレス団体の出現に感化され、このままでは、俺はダメだと悟り、フルコンタクト空手を学ぶこととなりました。そして、その基礎体力を養う為のトレーニングGYMに通うことになり、次第に、GYM主体の高校生活へ移行していきました。
高校3年生になった時の私の肉体は、大きく変化していました。ベントプレス120キロ、スクワット190キロは、そのGYMにいる高校生の中では、一番の力持ちとなってました。
高校卒業まじかの文化祭、私は、この文化祭であることを絶対にやりたいと考え、行動に出ました。クラス単位か各部活単位での開催とされる文化祭ですが、私は、学校初の有志で集まった仲間と、これも初となる「学生プロレス」をイベントとして開催し、学校の許可なく強行に出たのです。結果、学校からはなんのお咎めもなく、黙認してもらった感じとなりましたが、開催までには、いろいろなことがありました。
夏休み期間から山へ行き、竹を切って材料を集め、プロレスのリング作りを行いました。秋の文化祭に間に合わせようと必死でした。この準備には本当に苦労しましたが、友人たちと協力しあって進める行動は楽しかったです。

文化祭、イベント本番、私は、脳震盪を起こしてしまいました。数時間の記憶をなくすといったアクシデントがありましたが、イベントそのものは、大成功で幕を下ろしました。イベント後、私は、脳震盪の悔しさやイベントの達成感や10人を超える仲間たちとの幸せな時間に、泣きました。みんなで輪になって泣きました。肩を組んで泣きました。その頃のVHDのビデオが自宅のどこかに保管されています。そんな高校3年生でした。

そんな、男気だけで生きている私の様子を1人の女子が、感動し、涙しながら見てくれていたそうです。その女子とは、1学年年下の女性で、美人で、頭も良く、男性の間では、人気の女の子です。それが、まさか、私へ、私の友人を使って、私なんかにラブレターを渡そうと行動するなんて思ってもみませんでした。 
カイちゃん舞い上がりました。
さらに、事は続き、恋のキューピットになることに喜びを持ち始めは友人は、「告白しろ」とか「付き合え」とか、しつこく話をするようになりました。そんなある日、いつものようにGYMへ通う途中、彼女と友人は、私を待ち伏せしてました。川の流れる土手で、今度は、私から「付き合いましょう」と伝えたのでした。彼女は、「はい、ありがとうございます」と言って、うちに帰っていきました。私の心は爆発寸前。友人たちに見られていることも小っ恥ずかしく、今、これを書きながらもお恥ずかしい限りです。

付き合うと言っても、学年は違うし、登下校を自転車で一緒になる程度。でも、初めてのことで幸せいっぱいでした。さらに、男性たちに妬まれることに優越感を持ったのも、未熟な私の満足な思いとなってました。
クリスマスの日、なぜかクラシックコンサートに一緒にいくことになりました。何がいいんだかさっぱりわからないクラシック音楽でしたが、隣にいる彼女とクラシックを聴いている自分が、少し大人になった気がして、いい感じでした。この後に、彼女から手編みのマフラーをもらいました。死ぬほど嬉しかったです。そんな、これが初恋でした。

高校を卒業し、私が専門学校にいくようになった春、彼女から「東京の大学へ行きたい」と電話で伝えられ、受験勉強に集中するようになり、段々と連絡は無くなっていきました。女々しい私は、思いを引きずったまま専門学校生活をただなんとなく過ごすような日々から始まっていました。

「二度と恋なんてするものか」
と決めていた私でしたが、その後、専門学校の思い出づくりの飲み会から、1人の女性に心奪われます。

今、私は、ベトナムで隔離生活を送っていますが、先日、俳優の田中邦衛さんが亡くなられたという報道をネットニュースで知りました。彼が主演で登場する「北の国から」をずっと観ていました。私と同世代の方々は、ほとんどの人が観ていたのではないでしょうか。黒板家の物語、家族の成長や変化が素晴らしい描写とともに表現された作品でしたが、実は、このドラマの内容は、ほぼ、私の人生の出来事、その時期と変わらない、不思議なくらいに重なっているのです。このブログで若かりし、自分のことを書きながら、登場人物の「純」や「蛍」が、ほぼ私と同年代だからか、私が田舎出身だからか、「初恋」「帰郷」「巣立ち」などで、似たような出来事や人生の変化が、私の人生とともに同時に展開されていたように感じています。このドラマで流れる音楽もまた、今での私の人生のある時期のテーマ曲として頭の中に流れます。邦衛さんが演じた「黒板 五郎さん」、素敵でした。
心から特別なありがとうを伝えたいです。
ご冥福をお祈りいたします。

専門学校での恋愛編を書くつもりが、高校の恋愛話が多くなってしまいました。
これも隔離生活の影響からでしょうか 笑。
この恋愛編のみ、パート2まで続けようと思います 笑。
こんな話、誰が楽しく読むかな〜 笑

では、続きは、また次回に

「北の国から」についてはこちら↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89
追悼番組はこちら↓
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/kitanokuni_87/index.html


(次回 episode⑤へ続く)