トレジャー代表者です!自己紹介をいたします(episode①)
はじめまして
株式会社トレジャーの社長をしております 甲斐 裕章 と申します。
Facebookは、初期の頃から長い頃やっておったのですが、それ以前から、ネットの中で存在してきたブログについて、意外にも書いてきた経験がなく、ほぼ初めての感覚で、今回、書いております。
何を書くか。。。
まずは、自己紹介からさせてもらえればと思います。
私は、宮崎県延岡市で生まれました。父は、運送の仕事、母は幼稚園教諭。
環境は、かなり、田舎です。
年齢は、もうだいぶ上がってきましたが、自分では、20代のつもりで、生きています 笑。
幼少期は、小児喘息で苦しみ、運動したくてもできないもどかしさを感じながら育った記憶があります。
物心ついた3歳くらい、父が好きだったプロレスが、私の憧れの人物像でした。
中学校くらいから喘息がいくらか軽減し、柔道部に入り、格闘技と友人たちの存在に喜びを感じ、日々、過ごしていました。勉学は、好きな教師と嫌いな教師で得意科目が変わり、今考えれば、いい加減な自分だったなあと思います。
高校になり、柔道をやめ、町中にあるウェイトトレーニングGYMに出会い、ボディビルコンテストに出場したりもし、ほとんど、勉強をせず、スポーツに明け暮れた日々を送っていたと思います。
高校最終年度の夏、同居する祖母の体調が悪く、部屋に閉じこもりがちな様子に家族は心配し、市に相談、デイサービスという高齢者サービスが存在することを知り、なぜか興味がそそられ、高校生である私は、祖母を連れデイサービスへ行き、その世界がどんなものなのか、介護というものを考え始めた頃でした。
そして、県南部に介護専門学校が開設されたという情報を専門学校専門誌で知り、将来を考え始めた時、担当教員は、私を警備会社への就職を勧めてましたが、その教員の発想に無責任を感じた私は介護専門学校への道を選ぶこととなりました。
(次回、episode②へ続く)
株式会社トレジャーの社長をしております 甲斐 裕章 と申します。
Facebookは、初期の頃から長い頃やっておったのですが、それ以前から、ネットの中で存在してきたブログについて、意外にも書いてきた経験がなく、ほぼ初めての感覚で、今回、書いております。
何を書くか。。。
まずは、自己紹介からさせてもらえればと思います。
私は、宮崎県延岡市で生まれました。父は、運送の仕事、母は幼稚園教諭。
環境は、かなり、田舎です。
年齢は、もうだいぶ上がってきましたが、自分では、20代のつもりで、生きています 笑。
幼少期は、小児喘息で苦しみ、運動したくてもできないもどかしさを感じながら育った記憶があります。
物心ついた3歳くらい、父が好きだったプロレスが、私の憧れの人物像でした。
中学校くらいから喘息がいくらか軽減し、柔道部に入り、格闘技と友人たちの存在に喜びを感じ、日々、過ごしていました。勉学は、好きな教師と嫌いな教師で得意科目が変わり、今考えれば、いい加減な自分だったなあと思います。
高校になり、柔道をやめ、町中にあるウェイトトレーニングGYMに出会い、ボディビルコンテストに出場したりもし、ほとんど、勉強をせず、スポーツに明け暮れた日々を送っていたと思います。
高校最終年度の夏、同居する祖母の体調が悪く、部屋に閉じこもりがちな様子に家族は心配し、市に相談、デイサービスという高齢者サービスが存在することを知り、なぜか興味がそそられ、高校生である私は、祖母を連れデイサービスへ行き、その世界がどんなものなのか、介護というものを考え始めた頃でした。
そして、県南部に介護専門学校が開設されたという情報を専門学校専門誌で知り、将来を考え始めた時、担当教員は、私を警備会社への就職を勧めてましたが、その教員の発想に無責任を感じた私は介護専門学校への道を選ぶこととなりました。
(次回、episode②へ続く)